更新日:2015/03/02
愛知大学の歴史
愛知大学は、1946年に愛知県豊橋市で誕生しました.その前身ともいえる東亜同文書院は、1901年中国上海に設置され、日本の海外高等教育機関として最も古い歴史を持ちます.当時貴族院議長であった近衛篤麿公が東亜同文会を設立。東亜同文会の理念は教育文化事業によって日中友好提携を成し遂げることにあり、そのための人材育成が東亜同文書院の設立目的でした.後に首相になった近衛文麿公も1926年から5年あまり院長に就任しています.
アジア唯一の国際都市であり、当時の文化や流行の発信地でもあった上海で学問の自由を尊ぶ校風のもと、中国・アジア重視の国際人を育成。しかし、敗戦により東亜同文書院大学は中国に接収、半世紀に渡る歴史に幕を閉じた。その折、同大学最後の学長を務めた本間喜一(後に最高裁判所事務総長)は、新たな大学の設立を決意。1946年5月、本間学長の呼びかけに東亜同文書院大学等の教職員、学生の多くが集い、同年11月15日に愛知大学は中部地区唯一の旧制の法文系大学として誕生しました。
愛知大学の現在
愛知大学の建学精神は、「世界文化と平和への貢献」、「国際的教養と視野をもった人材の育成」、「地域社会への貢献」です。
愛知大学は、法学部、現代中国学部、地域政策学部など7学部、大学院、専門職大学院、短期大学部、三信南遠地域連携研究センターなどの付属機関を有します。校舎は、名古屋校舎、豊橋校舎、車道校舎です。
地域政策学部地域政策学科は、2011年4月に設置。地域政策学科には公共政策.地域産業、まちづくり、地域文化、健康・スポーツの各コースが設置されています。私は、地域政策学部地域政策学科の公共政策コースの「交通運輸政策論」を2015年4月から非常勤講師として担当します。すでに、2005年に哲学科、史学科等の科は文学部人文社会学科とし統合されています。
2014年5月現在の学生数は学部合計が7960名(入学定員1995名)、社会人学生は11名。大学院生は145名、内社会人学生は46名。全学総数は、10,372名、内社会人は64名。
愛知大学には、「自由受難の鐘」があります。自由を求めれば、必然的に苦難は避けることができないという意味で、自由を愛し、知を愛する、さまざまな壁を乗り越えて自己実現に向い前進をという願いがあるそうです。
以上、大学のホームページから紹介しました。
更新日:2015/03/01
琵琶湖の一番北に位置する菅浦という100世帯くらいの小さな集落です.菅浦は、「古代中世、惣村(生産、生活の側面において利害が一致した集団で、住民全てが参加して自立的にいきていく集団)」を形成しています。100年単位で物事を考えていると教えていただきました。(2015年2月)
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